8.数川先生

私達一家六人が一緒に暮らすことになった東京下落合の家は、勝夫叔父の持ち家ですが、長らく大連でお勤めの勝夫叔父に代わって、五郎叔父が住んでおられた処へ、我々宣彦家6人がころがり込んだのです。そのうち、外地からの日本人の引揚げが始まり、勝夫家の8人も帰って来られましたので、3家族総勢19人が住み、超過密となった訳ですから、色々と不便なことも多く、一日中家に居て家事をする母は大変だったようです。

 そうこうするうち、幸いなことに、東京都が旧陸軍戸山学校の跡地に建てた、都営住宅「戸山ハイツ」の抽選に当たり、ボロ家ながらも一家六人が水入らずで暮らせるようになったのは、昭和24年になってからでした。

 「戸山ハイツ」の建てられた場所は、江戸時代には、紀州の殿様の下屋敷があった所で、当時は江戸有数の日本庭園があり、東海道五十三次を摸して、人工の築山の「箱根山」や「宿場町」まで備えてあり、将軍のお成りも何度かあった由緒あるところだったそうです。

 明治以降、軍の管轄となり、戦時中は陸軍体育学校や陸軍軍楽隊になっていたので、野外音楽堂や敵の城壁をよじ登って攻撃する訓練に使った模擬城壁などが、江戸時代の名残が微かに残る木々の緑と「箱根山」とともに見られ、入居当初には、朝窓を開けると、家の前の並木道に雉の親子が歩いているのを見かけることもありました。

 総戸数約1,000戸、トタン葺き平屋の安普請で、雪の降った朝、窓ガラスとカーテンとの間に、隙間から入って来た雪が積もっていたりすることもある程でしたが入居している方々は、お金はないけれども、善良なインテリ層の人が多く、大学の先生が大勢おられたのが特徴的でした。戦後の混乱期を利用して、うまく立ち回ってお金を掴めるような才覚のある人は居る筈はないし、一定の収入と貯金残高のあることが都営住宅への入居者資格条件となっていましたから、自然とそのような、ある種の人種の人達が集まったのだと思います。

 尤も、住宅申込みの際の条件だった貯金残高は確か、500円だったし、急いで貯金して通帳の残高証明を貰ったら、すぐに貯金を引き出したようなことを母が言っていましたから、その資産状況も多寡が知れています。みんなご同様に戦災と住宅難から這い出た喜びを共有し合っており,大家さんを同じくする一体感があるため、下町的な一種独特の、面白い社会が出来ていました。

この都営住宅・「戸山ハイツ」にキリスト教の一派の「アメリカフレンド奉仕団」が平和運動の一環として建てた、「ネーバーフツドセンター」がありました。

「ネーバーフツドセンター」が行った各種の地域活動を通じて、多方面の方々とお近づきになり、色々なことを教えて頂いたり、楽しく遊んだりすることが出来たばかりでなく、その後の人生に大きな係わり合いを持つようになりました。このようにして、知り合いになった中のお一人が東京教育大学の英文学部教授の入江先生です。

ある日、我々が広島の被爆者であることから、入江先生の教え子で、我々と同じ原爆被災者の方を、紹介して下さったことがありました。

長崎出身の方で在学中に学徒出陣(37)で徴兵になって戦地に行き、戦争が終わって帰ってみたら、長崎市内におられたご家族が一家全滅になり天涯孤独の身になっていた、とのことで全くお気の毒なお話でした。

それから暫くしたある日、大村に居た頃の大村中学の同窓会があって出席したところ、最近東京に出て来られた当時の英語の先生、「数川先生」が来ておられました。何ともお恥ずかしい事ですが、その「数川先生」がその入江先生の教え子の方だったのです。

数日後、「数川先生」と入江先生を訪問して、私のうかつさをお詫びし我々の不思議なご縁についてお話しました。大村中学時代の「数川先生」について、次のようなことがあったことを想い出します。

ある日、先生が教室に入って来られるなり、黒板一杯に英語で歌詞を書き付けると、何時になく熱心に、英語で歌いながら教え始たのです。

 Mid pleasures and palaces though we may roam.
 Be it ever so humble, there's no place like home.
 A charm from the skies seems to hallows us there.
 Which, seek thro'the world, is ne'er met with else where.
 Home! Home ! sweet, sweet home;
 There's no place like home,
 Oh! There's no place like home!

当時は憎まれ盛りの中学生だし、先生の一家が全滅された話なと知らなかったこととて無理もないことですが、平和の時代になって、両親や家族に囲まれてヌクヌクと暮らして騒いでいる連中を前にして、

Home! Home! sweet, sweet home.
Oh! There's no place like home!

埴生の宿も わが宿
玉のよそい うらやまじ
のどかなりや 春のそら
おお わがやどよ たのしとも たのもしや

と、唱われたこの時の先生の心情に、初めて気がつきました。遠く戦場で、どんなに、「なつかしの我が家」、のことを想っておられたのでしょうに……。


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