(39)トラピックス(trapics)のパックツアー「決定版スペイン8日間」に参加 2008.12.25
毎年、年末に出かけている海外旅行として、今年は阪急交通社のトラピックス(trapics)パックツアー「決定版スペイン8日間」に行ってきました。妻が初めてのスペインで、もう二度といけないかもしれないという事でてんこ盛りのツアーを選択。年老いた両親と同居して面倒を見てもらっている立場上、妻にはまったく逆らうことができません。
ツアーの日程
@成田空港=>パリ経由でバルセロナへ
Aバルセロナ観光=>バレンシアへ
Bラマンチャ観光=>グラナダへ
Cグラナダ、ミハス観光=>ボルムホフへ
Dセビーリャ、コルドバ観光=>マドリッドへ
Eマドリッド、トレド観光
FGマドリッド=>パリ=>成田空港
飛行機の往復と、ホテル宿泊6日、朝昼晩3食、タブラオでのフラメンコディナー、
現地でのバス・列車料金込みで199、800円+年油チャージ料の格安ツアーでした。
バルセロナ、バレンシア、ラ・マンチャ、グラナダ、ミハス、セビーリャ、コルドバ、マドリッド、トレドを一週間で回ると言う強行日程でした。昨年のイタリアに続き、とにかく疲れました。
(1)成田空港=>パリ経由でバルセロナへ 12月16日
バルセロナ到着後にバスで1時間ほどで、リゾート地シッチェスの宿泊先のホテル ANTEMARE(アンテマーレ)へ。
到着が11時頃で、機内で食事をとってあったので、この日はとりあえず寝るだけ。
成田空港のエアーフランス |
エアーフランスの機内食 |
エアーフランスの機内からの夕日 |
リゾート地シッチェスのホテル アンテマーレ |
(2)バルセロナ観光=>バレンシアへ 12月17日
リゾート地シッチェスの観光は無しでバルセロナへ行って市内観光。
○サグラダ・ファミリア(聖家族教会)
アントニ・ガウディ作でユネスコの世界遺産のサグラダ・ファミリアへ。
テレビや写真などで見ていましたが、想像以上の迫力に圧倒されました。
1882年に着工され、もう100年以上建設が進んでいるのに、思った以上にまだ工事が残っているという印象でした。
内部に入ると、紐とおもりを用いた道具を用いた実験道具が展示されていました。
紐におもりを吊り下げてできる形を上下反転させたのが応力的にバランスのとれた構造になるようです。
展示物には上に鏡があって、反転した形が見れるようになっています。
コンピューターのなかった時代に、実験的に簡単に応力のバランスを求める手法だったのだと思います。
鉄道がすぐ近くの地下を通る予定なので、地盤沈下などで建物の崩壊などの問題が出てくるかもしれないようです。
サグラダ・ファミリア崩落の危険? 地下に鉄道トンネル
○サン・パウ病院(Hospital de Sant Pau)
リュイス・ドメネク・イ・モンタネール作でユネスコの世界遺産のサン・パウ病院へ。1902年から1930年にかけて作られた建築物ですが、今でも病院として使われているというのに驚きます。
○グエル公園(Park Guell)
アントニ・ガウディ作でユネスコの世界遺産のグエル公園へ。
1900年〜1914年に分譲住宅として建造されたが、売れなかったので公園となったようです。広場のに降った雨が砂にしみ込んで濾過され、柱の中の管を通って行くという、浄水施設となっているとの説明を受けました。自然にやさしい素晴らしい作りです。
○ピカソ美術館
中世にできた建物の中に1890年ピカソが9歳ごろからの作品が年代別に、絵画だけでなく陶器なども展示されています。現地ガイドの解説を聞きながら美術館を回るのが、団体旅行での大きな楽しみですが、絵の中の人物の構図(顔の前と後ろの空間のバランス)、デッサンにおける黒人と白人の表現、遠近感の表現手法(遠近のどちらに焦点を当てるか)、色使いによる表現など、なるほどと感心させられます。
幼少のころから父の指導で絵画の勉強をして来たピカソの基礎的な表現力の高さにまず関心させられます。ピカソが14歳の時の有名な作品「初めての聖体拝領」。このような作品を14歳で描いてしまうことに本当に驚き。しっかりした基礎力の上で、写真に出来ない、新しい表現を追求していって、青の時代、点描画、ベラスケスのラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)を題材にしてデフォルメした絵など、キュービズムに至るピカソの絵画史が一望できます。
○マリーナ・モンチョス(Marina Moncho's)
オリンピック港にあるシーフードレストラン マリーナ・モンチョスでカタルーニャ料理の昼食。人気店らしく、壁に有名人の写真が沢山貼ってありました。こちらでトマトソースパン、イカ墨のパエリア、果物のデザート。なかなかの美味でした。
食事の後はバスでバレンシアの宿泊先のエキスポ ホテル バレンシア(Expo Hotel Valencia)へ。ホテルのすぐ隣に大きなデパート(エル・コルテ・イングレス)がありましたので、買い物に。
サグラダ・ファミリア |
サグラダ・ファミリア |
サグラダ・ファミリア ガウディーの装置 |
サンパウ病院 |
サンパウ病院からサグラダ・ファミリアを眺める |
ピカソ美術館 |
ピカソの「初めての聖体拝領」 |
ピカソの「ショールの女」 |
ピカソの「宮廷の女官達(マルガリータ・マリア王女)」 |
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グエル公園 |
グエル公園 |
マリーナ・モンチョス イカ墨のパエリア |
マリーナ・モンチョス |
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エキスポ ホテル バレンシア |
エキスポ ホテル バレンシアの夕食 |
エル・コルテ・イングレス |
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(3)ラマンチャ観光=>グラナダへ 12月18日
セルバンテスのドンキホーテの舞台、ラマンチャ地方の観光へ。
○プエルト・ラピセ(Puerto Lapice)
プエルト・ラピセ村で1560年ごろに出来たと言う、真っ白で美しい風車観光。
お金を払うと内部の見学もできるようになっています。昔は風車を回して石臼で粉を引いていたのですが、今は祭りの時だけしか使われないので、羽根に帆は巻かれていませんでした。
バスの窓からは、強風を利用して発電する、発電用の風車が回っているのが眺められました。
○ベンタ・デル・キホーテ
セルバンテスが宿泊したと言う小さなホテルのレストランで昼食。「ドン・キホーテ メニュー」と命名された料理は、野菜スープに、チキンの煮込み、パイ・アイスクリームのデザート。
こちらの地方は乾燥地帯で、昼間は40度を超えるそうです。だから昼間働いていると死んでしまうので、長いお昼休み(シェスタ)をとるそうです。食事の後はバスでグラナダの宿泊先のアリサレス ホテル(Alixares Hotel)へ。ホテルでの夕食はバイキング形式で。味はいまいちでした。
食事の後はフラメンコを観に洞窟タブラオへ。お酒を飲みながらフラメンコを楽しめるパブのことをスペインでは「タブラオ」と呼びます。マドリッドのメインステージに出る前の修行中の新人なのか、マドリの舞台で活躍しているダンサーが出身地の故郷へ帰ってきているのか、そのあたりの詳しい状況は分かりませんが、狭い洞窟の中で素朴なフラメンコ演奏を満喫できます。最後には観客も参加するノリの良さでした。こちらのタブラオからはアルハンブラ宮殿のライトアップが見えました。
ラマンチャ地方の観光 風車 |
ラマンチャ地方の観光 |
ベンタ・デル・キホーテ |
ドン・キホーテ メニュー |
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ラマンチャ地方からグラナダへのバスの車窓から |
アリサレス ホテル |
アリサレス ホテルの夕食 |
アルハンブラ宮殿のライトアップ |
洞窟タブラオのフラメンコ |
(4)グラナダ観光、ミハス観光=>ボルムホフへ 12月19日
○ヘネラリーフェ庭園 (Garten des Generalife)
アルハンブラ宮殿は一日に入れる人数制限があり、予約で入れる時間を決められています。入れるまで時間に隣のヘネラリーフェ庭園を見物。
○アルハンブラ宮殿
世界遺産のアルハンブラ宮殿へ。13世紀ごろから作られたイスラム建築のアルハンブラ宮殿は裁判所、礼拝堂、ハーレムなどで構成されています。緻密な壁の模様は漆喰に型押しをして作られたそうです。壁一面の模様は見事なものですが、長年あこがれていた自分のイメージが大きすぎたせいか、思った程の感動はありませんでした。この宮殿は海抜800mにあるり、ネバダ山脈からひいてきた水が流れて涼しい環境でした。実際に宿泊できるホテルも隣にありました。こちらの宮廷に勤める男性は中国と同じ宦官(かんがん)(去勢された官吏)だったそうです。ガイドさんに勧められたW・アービングの「アルハンブラの思い出」を買って帰ってきて、ただ今読書中です。
アルハンブラ宮殿の観光の後はバスでミハスへ。
○ミハス(Mijas)観光
白い漆喰の美しい家並みのミハスは、海抜430mの別荘地で、65,000人の住人の35%がイギリス人だそうです。年金生活になったら物価の安いスペインでと言ったところでしょう。小さな闘牛場があったので見学。闘牛は夏場に行われているようです。こちらには地元の「サルガデロス陶器」を売っているお店があったので記念に購入。
お昼は見晴らしの良いレストラン パドラストロ(El Padrastro)で。ニンニクのスープ、魚のフライ、缶詰の果物のデザート。
El Padrastro
昼食の後はバスで宿泊先のセビーリャの隣町(ベッドタウン)のボルムホフのホテルベルティーチェ・アルハラフェ(Vertice Aljarafe)へ。
夕食はホテルでバイキング形式でパエリア等の定番メニューでした。食事の後はホテルから5分ほどの所にスーパーがあったので買い物へ。
ヘネラリーフェ庭園 |
アルハンブラ宮殿 |
アルハンブラ宮殿 |
ミハス(Mijas)街並み |
ミハス(Mijas)の小さな闘牛場 |
レストラン パドラストロ |
レストラン パドラストロからの眺め |
お土産店 サルガデロス陶器 |
ボルムホフのホテル ベルティーチェ・アルハラフェ |
ボルムホフのホテル ベルティーチェ・アルハラフェの夕食 |
(5)セビーリャ、コルドバ観光=>マドリッドへ 12月20日
○スペイン広場
1929年に開催された「イベロ・アメリカ博覧会」のスペイン館であったものだそうです。
○カテドラル(大聖堂)
ムリージョ公園から細い街の中を歩いて、Barで一休み。Barではイベリコブタのハムなども食べられます。インド古文書館、王宮の横を通ってカテドラルへ。カテドラルの中にはコロンブスが埋葬されています。コロンブスの棺をレオン、カスティーリャ、ナバーラ、アラゴンの4人の国王がかついでいます。鐘楼 ヒラルダの塔は歩いて登ることができ、セビーリャの町が一望できますます。
セビーリャ観光後はバスでコルドバへ。
コルドバには、ローマ時代の2000年も前の橋がありました。
○タパスメニュー(tapas)のランチ
タパスとは小皿料理のことだそうです。キノコのニンニク野菜炒め、イカ、スペインオムレツ、ビーフのトマト煮込み、レモンシャーベットの昼食。
○メスキータ(Mezquita)
785年に建設が始まり2万5000人が収容できたというモスクで、カトリック教徒によりキリスト教の教会に改築されたもの。2重アーチと大量の柱が特徴的です。メスキータの裏は旧ユダヤ人街で迷路のような細い道が続きます。花の小道と言われる、ゼラニウムで飾られた花の小道も通ってきました。
コルドバ観光の後はセビーリャから新幹線(AVE)でマドリッドへ。振動の全くない快適な旅でした。
宿泊先は ラファエル ホテル(Rafaelhoteles Atocha)。夕食は中華料理店へ。久しぶりのお粥の味で満足でした。
スペイン広場 |
ムリージョ公園 |
BAR |
カテドラル |
カテドラル ヒラルダの塔 |
カテドラル |
カテドラル ヒラルダの塔からの眺め |
コロンブスの棺 |
ローマ橋 |
タパスメニュー |
メスキータ(Mezquita) |
花の小道 |
コルドバの駅 |
新幹線(AVE) |
マドリッドの電飾 |
マドリッドでの中華料理 |
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(6)マドリッド、トレド観光 12月21日
○プラド美術館(Museo Nacional del Prado)
エル・グレコの「胸に手をあてた貴人の肖像」、「聖三位一体」、
ベラスケスの「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」、
ゴヤの「カルロス4世一家」、「着衣のマハ」(裸のマハは貸し出し中)、
「マムルークの突撃」、「わが子を食うサトゥルヌス」などを鑑賞。
ガイドさんの詳しい説明があったので、非常に勉強になりました。
○ソフィア王妃芸術センター(Museo Nacional Centro de Arte Reina Sofia (MNCARS))
ピカソの「ゲルニカ」が展示されていることで有名です。ゲルニカ(Guernika)はスペイン内戦中に空爆を受けた町ゲルニカを主題に、1937年のパリ万国博のスペイン館の壁画として作成された作品です。さすがに心を揺さぶる迫力があります。
○スペイン広場
セルバンテス、ドンキホーテ、サンチョパンサの像があります。クリスマス用にたくさんのお店が出ていて狭くなっていました。
昼食はパエリアレアル(La Paella Real)でシーフードパエリア料理を。ここのお店は高級店だそうで、パエリアの味もなかなか美味でした。
昼食の後はバスでユネスコの世界遺産のトレド観光へ
○カテドラル(大聖堂)
宝物室があり、金・銀・宝石などで細工された聖体顕示台や衣装などが展示されています。
○サント・トメ教会
エル・グレコの最高傑作といわれている「オルガス伯の埋葬」が展示されています。
トレド観光の後はマドリッドへ戻って、タブラオ「トレス・ベルハメス」でフラメンコディナー。ワインを飲みながら食事をして、ほろ酔い気分になったところで、いよいよフラメンコが始まります。
皆さん大いに盛り上がり、ハッピーな最後の夜となりました。
プラド美術館 |
エル・グレコの「胸に手をあてた貴人の肖像」 |
エル・グレコの「聖三位一体」" |
ベラスケスの「ラス・メニーナス(宮廷の侍女たち)」 |
ゴヤの「着衣のマハ」 |
ゴヤの「マムルークの突撃」 |
ゴヤの「わが子を食うサトゥルヌス」 |
ソフィア王妃芸術センター |
ピカソの「ゲルニカ」 |
スペイン広場 |
パエリアレアル(La Paella Real) |
トレド観光 |
トレド観光 カテドラル |
エル・グレコの「オルガス伯の埋葬」 |
サン・マルティン橋 |
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マドリッド フラメンコディナー サーモン |
マドリッド フラメンコディナーショー |
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(7)マドリッド=>パリ=>成田空港 12月21、22日
朝7:15発のエールフランスでパリへ向い、成田行きへ乗り換え。日本へは翌日の朝に着きました。とにかくバスに乗っている時間の多いハードな旅でしたが、スペインを一通り観光で来て満足しました。
スペイン事情など、添乗員さんやガイドさんに伺った話などなど、
○スリ
スペインの一般の人の給与は10〜15万円程度で、現金はあまり持ち歩かないのですが、日本人の中にはこの程度の現金を持っている観光客がいて、その財布を盗んだ泥棒が、日本人を狙って犯行を重ねる事になるとの話です。今は、不況で海外からもスリ団が入ってきていて、スペイン人にもかなりの被害が出ているようです。ただし、傷害のような犯罪は少ないようです。幸い今回のツアーでは特に被害はありませんでした。
先日、インドでは年収200万円あれば、召使を雇った生活ができると言う記事を読みました。日本の年金生活者は200−300万円くらいの所得の人が多いかと思いますが、世界的にみるとかなり豊かと言うことになるようです。
○ホテル
今回のツアーで宿泊先は、フランスやイタリアのツアーの時と比べてかなり良いホテルという印象でした。物価が安いせいなのか、治安が悪いので、グレードの高いホテルを選んでいるのか理由は分かりません。現在は対ユーロでの円高が進んでいるので、現地での物価も安く感じました。
○教育
スペインでは小学校から落第があるそうです。ついていけない子供を、無理に進学はさせないようです。また、日本のように皆が大学へ行こうとするようなことはないそうです。学歴がつけばそれだけ高い給与を払うことになるので、仕事によっては働きにくくなるそうです。以前テレビでドイツには小学校の時から職人を目指すような教育制度があるようなのを見ましたが、日本にももう少し多様性が必要と思います。専門的な勉強をしたくない人も大学へ行って、さんざん遊んだあげくに、ロクな仕事にもつけないと言った日本の事情を放置しているのは、大学に入りたい学生のためというより、大学の職員の雇用を維持するための政策のように見えてなりません。学校の顧客である生徒の方へ視線を向けないと結局はいつか破綻をきたすことになると思います。
○農業
スペインでの農業は大規模経営で採算が取れているようです。収穫の時期にはアフリカの方から出稼ぎの労働者が来るそうです。日本では戦後の農地改革で小作農に分けられたので、採算が取れなくなってしまったとの事です。少数のお金持ちがなくなったが、皆が貧乏になってしまったので、補助金で維持しているということでしょうか。比較的平等で安定した社会を作るのには役立って来たように思いますが。
○花粉症
オリーブの花粉症になる人がいるそうです。よくもこれだけ植えたものだと思うくらい、延々と続くオリーブ畑。杉の植林と同じく、単一植物だけの森を作ってしまうことが問題なのでしょう。もしかしたら花粉症は自然から人間への警告なのかもしれません。
○電源、電話、インターネット
電源プラグはC型のもの、携帯電話やデジカメなどの充電のためには、変圧器を持って行ったので問題なく使えました。ソフトバンクとDocomoの海外対応の携帯電話は電話もメールもネットも全く問題なく使えました。ホテルでのインターネットは無線LANまたはケーブル接続で、無料または格安で使えましたので、電話回線等の使用は必要ありませんでした。
○添乗員
今回で何回目かの添乗員付きのツアーでしたが、いつも手際の良さに感心させられます。ただ現地の事情に詳しいとか語学ができるだけでは全く仕事にならりません。年齢の若い人からお年寄りまでの大人数(30人くらい)、中には勝手にどこかへ歩いて行ってしまうお年寄りなどもいる状況で、安全に旅させるには相当の経験がないと出来ないと思われます。また、バスの中では現地の歴史などに関する説明もしてくれます。相当の勉強を積んでいるます。しかし、添乗員の見習いに出会ったことがありません。国内の旅行の添乗員から実践経験を積んで、海外へと言うパターンが多いようです。どの世界でもプロになるのには相当の努力と長い経験がいるのだとつくづく感じさせられました。
C型電源プラグの変圧器 |
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